技術の向上、品評会用?
「吟醸酒」は、贅沢な香りの良いお酒というイメージが湧いてきませんか?原料による分類は前回、書かせていただきましたが、「吟醸酒」は造り方による分類になると思います。
元々「吟醸酒」はお酒の鑑評会に向けて造られたお酒で、技術の向上、新酒の開発が目的でした。
精米歩合は60%以下と言うのは原料のお米。
この精米は雑味を除くためでしょう。
造り方としては「吟醸造り」。長期低温発酵。
仕込み温度を10度以下にしてゆっくりと低温発酵させ、30日以上かけて熟成させる。
この造りによって、吟醸香と言われるフルーティな香りと味わいが造り出されます。
精米機と吟醸酒
精米歩合50%以下になると「大吟醸」と表示できます。精米歩合が高くなると、糠を落とす洗米、水に浸す浸漬(しんせき)も、知識、経験とスピードとこれまた経験に裏付けられた勘が必要となります。
その日の気候、温度、米の特徴、米の出来ぐわい、これからの作業行程などを把握していないと出来ない一つ一つの作業です。
水切り、甑(こしき)による蒸米、放冷、麹造り(製麹せいぎく)、もと(酒母)造り・・・・と緊張の連続作業です。
吟醸酒の話になると、以前紹介させて頂いた「三浦仙三郎」さんの存在。
それと、この度、話題にさせて頂いている精米の事では、日本初の動力精米機(明治29年)をつくられた佐竹利市さんの事を忘れてはいけないでしょう。最初は米を搗(つ)くものでしたが、砥石で磨くものを開発され、今の精米機の原形です。この佐竹さんも広島県の方。精米機の開発で原形精米は酒質を向上させた要因の一つでしょう。
精米機の生まれていない時代、明治中期より吟醸、吟造、吟製の言葉は文献にも記載されておりましたが、精米歩合は明治42年の白牡丹の「吟醸物」87%、「普通」89%と書かれた記録もあり、お米を搗く方法での精米は75%ほどが限界であったのではと推察させてもらいます。
(水車精米で75%~65%ほどのものもあったようですが、粒が不揃いだったようです。)
昭和5年の竪型精米機の出現によって昭和13年より65%以下の精米歩合とされました。戦争の影響で70%までと精米の規制をされたりもしますが、吟醸酒への貢献度はすばらしいものです。
お詫びm(_._)m
70%で、思い出しましたが、前に書いた純米酒の記述で精米歩合70%と書いてしまい、平成16年の精米歩合の撤廃の事を忘れていました。申しわけございません。
去年、「ゴールド賀茂鶴発売50周年記念ボトル エクセレント」が発売されました。
昭和33年に「大吟醸」のラベルを張って発売された事も佐竹利市さんと賀茂鶴酒造さんとのお付き合いからでしょうか。
最初の開発に協力をされ、完成品1号機は賀茂鶴さんに納品されています。
また話は変わりますが、吟醸造りで有名な「YK35]と言う言葉を使い始めたのは「千福 三宅本店」の杜氏さんだったそうです。
私と吟醸酒の出会い
中尾醸造が昭和23年「リンゴ酵母」、「高温糖化酒母」で吟醸酒を造られ、一位となり皇室新年御用達酒とされ、昭和55年頃復活させ「幻」が発売されました。私が丁度二十歳を過ぎた頃、偶然に「幻 赤箱」を飲ませていただきました。先輩に「燗したら、あかんでぇ」っと言われながら、徳利に注ぎ、「おまえも一杯いけやぁ」と言われたので、湯のみ茶碗を出すと笑い飛ばされながら、「なかなか飲めんお酒やから、よう味わって飲みいや」。
湯飲みを鼻に近づけただけで「只者ではない」と悟り、湯のみタップリと注いでくれた先輩に感謝。いやぁ、いろいろ初体験の多い年頃であったにせよ、おいしかったぁ。うまかったぁ。
日本酒の超えた世界を体験させて頂いた事は、今思えば、数年後アルコール業界にお世話になる布石だったのでしょうか?



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